「事業を継ぐ長男にすべて相続させたいが、他の子の遺留分が気になる」——こうした場合の対策として、相続開始前に相続人自身が遺留分を放棄する制度があります。ただし、家族間の合意書だけでは効力がなく、家庭裁判所の許可が必須です。

なぜ家庭裁判所の許可が必要なのか

民法1049条は「相続の開始前における遺留分の放棄は、家庭裁判所の許可を受けたときに限り、その効力を生ずる」と定めています。被相続人や他の相続人から圧力を受け、本人の真意に反して遺留分を放棄させられることを防ぐための規定です。相続放棄が生前にはできないのと同じ考え方に基づいています。家族間で「念書」を交わしただけでは、法的な効力は一切生じません。

相続開始後の遺留分放棄は許可不要

被相続人が亡くなった後の遺留分放棄には、家庭裁判所の許可は必要ありません。相続人が自分の意思で、遺留分侵害額請求をしないと相手方に伝えるだけで足ります(最高裁判例)。死後であれば生前ほどの圧力を受けにくいと考えられているためです。

生前放棄の申立て手続き

  1. 遺留分を放棄する相続人本人が申立人となり、被相続人の住所地の家庭裁判所に「遺留分放棄の許可の申立て」を行う
  2. 申立てから1〜2週間程度で、申立人に「照会書」が送付される(放棄が本人の真意によるものか、生前贈与の有無、動機、撤回の可能性等を確認する内容)
  3. 場合によっては裁判官による面接(審尋)が行われ、被相続人にも照会が及ぶことがある
  4. 家庭裁判所が許可・不許可を審判
  5. 許可されれば「審判書謄本」(または許可証明書)が交付される

許可の判断基準

家庭裁判所は、主に次の要素を総合的に考慮して許可・不許可を判断します。

  • 放棄が本人の自由な意思に基づくものであること(強要されていないか)
  • 放棄の理由に合理性・必要性があること(事業承継、既に生前贈与を受けている等)
  • 放棄と引き換えに、相応の代償(生前贈与等)があるかどうか

不合理・不当と判断されれば却下される可能性もあります。実務では、申立てが不相当と見られる場合、取下げを勧告されることも少なくありません。

遺留分放棄しても失われないもの

遺留分放棄は、あくまで「遺留分侵害額請求権」だけを手放す手続きであり、次の点には影響しません。

  • 相続人としての地位:遺留分を放棄しても相続人であり続けます。遺言がなければ、法定相続分に応じて遺産分割協議に参加する権利は残ります
  • 他の相続人の遺留分:1人が遺留分を放棄しても、他の相続人の遺留分割合が増えるわけではありません
  • 債務の相続:遺留分放棄をしても、借金等のマイナスの財産を相続する義務は残ります。負債を避けたい場合は別途「相続放棄」の手続きが必要です

つまり、遺留分放棄だけでは特定の相続人に財産を集中させることはできません。「全財産を長男に相続させる」という遺言書とセットで初めて、意図した遺産承継が実現します。

取消しは容易ではない

一度許可された遺留分放棄を取り消すことは簡単ではありません。単に気が変わった、家族関係が悪化したといった理由だけでは、取消しは認められないとされています。相続開始後は撤回自体ができないため、放棄する側は十分に納得した上で、慎重に手続きに臨む必要があります。

実務のポイント

遺留分の生前放棄は、事業承継や特定の相続人への財産集中を図る際の有効な手段ですが、放棄する相続人が心から納得していることが大前提です。強制的な放棄は家庭裁判所に見抜かれ、許可されない可能性が高くなります。代償となる生前贈与の準備も含め、早い段階で弁護士・税理士に相談しながら、遺言書とセットで計画的に進めることをおすすめします。