生前贈与や遺言書の作成は、本人に「意思能力」があることが前提です。認知症が進行してからでは、これらの手続きが無効とされたり、そもそも実行できなくなったりするリスクがあります。判断能力があるうちに動けるかどうかが、相続対策の分かれ目になります。
認知症になると何ができなくなるのか
贈与や遺言は「意思能力(内容を理解し、自己の意思で判断する能力)」がなければ無効とされます。認知症と診断されたからといって自動的に意思能力がないとみなされるわけではなく、軽度であれば有効な意思表示ができる場合もありますが、判断能力が失われたとみなされると、次のようなことが一切できなくなります。
- 生前贈与(財産を減らす行為として扱われるため)
- 遺言書の作成
- 不動産の売却・賃貸契約
- 預貯金の解約・引き出し(金融機関が意思確認できないため口座が凍結される)
- 遺産分割協議への参加(他の相続人の相続も止まってしまう)
認知症発症後は「成年後見制度」しか選べない
判断能力が既に低下した後に利用できるのは「法定後見制度」のみです。家庭裁判所が選任した成年後見人が財産管理を行いますが、この制度の目的はあくまで「本人の財産の保護」であり、次のような相続対策・積極的な運用はできません。
- 生前贈与(成年後見人が代理で行うことも不可)
- 相続税対策を目的とした不動産の売却・買い替え
- アパートの大規模修繕や新たな借入
不動産の売却などにも家庭裁判所の許可が必要で、後見人には報酬(月額2〜6万円程度が目安)が発生し、財産状況の定期報告義務も一生涯続きます。「家族が後見人になれるとは限らない」点も見落とされがちなポイントです。
判断能力があるうちにできる4つの対策
①生前贈与
判断能力が明確にあるうちに贈与を実行しておけば、後から無効を主張されるリスクを避けられます。軽度の認知症の兆候がある段階で贈与を行う場合は、医師の診断書を取得し、贈与契約書を作成し、振込等で客観的な記録を残すことで、後日の有効性を証明しやすくなります。
②遺言書の作成
判断能力があるうちに、できれば公正証書遺言の形で作成しておくことで、後日の無効主張のリスクを大きく減らせます。認知症発症後に作成する場合は、医師の立会いのもとで意思能力を確認し、記録を残す方法もありますが、確実性という点では発症前の作成に及びません。
③任意後見制度
判断能力があるうちに、将来の後見人(任意後見人)と支援内容を自分で決めて公正証書で契約しておく制度です。法定後見より自由度が高く、本人が信頼する人を後見人に指定できますが、任意後見監督人による監督は入り、内容によっては相続税対策が制限されることもあります。
④家族信託
判断能力があるうちに、信頼できる家族(受託者)に財産の管理・運用・処分を託しておく契約です。認知症になった後も、受託者の判断で不動産の売却・修繕、資産運用を継続でき、成年後見制度ではできない積極的な対応が可能になる点が最大の特徴です。ただし、家族信託自体に節税効果はなく、身上監護(施設入所契約等)はできない点に注意が必要です。
対策の優先順位
親の判断能力に少しでも不安の兆候がある場合、対策できる時間は限られています。一般的には、まず認知症の進行度合いを医療機関で確認し、判断能力があるうちに家族信託や任意後見契約、遺言書の作成、必要な生前贈与を並行して進めることが推奨されます。すでに判断能力が失われている場合は、成年後見制度の利用を検討することになります。
実務のポイント
「まだ大丈夫」と先延ばしにしているうちに判断能力が急速に低下し、対策の機会を失うケースは少なくありません。親の言動に気になる兆候が出てきた段階で、家族間の話し合いと専門家への相談を早めに始めることが、財産凍結や相続トラブルを防ぐ最も確実な方法です。